命を狙われながらの治療
この20年間で、デニ・ムクウェゲ医師は幾多の恐怖を味わってきた。 ノーベル賞受賞者のムクウェゲ医師と彼の同僚たちは、コンゴ民主共和国のパンジ病院で、これまでに紛争下でレイプ被害にあった何万人もの女性たちの治療を施してきた。それは、民兵や国軍兵士に引き裂かれた少女の腸を縫い合わせ、腹腔内に戻すといった治療だ。 その産婦人科医としての功績が世界的に高く評価され、ムクウェゲ医師は2018年にノーベル平和賞を受賞した。しかし、近頃では病院の外をぶらつくこともままならない。命を狙われているためだ。 「まるで牢獄で暮らしている気分です」とムクウェゲ医師は語る。病院はルワンダとの国境にほど近い町ブカヴにある。 「脅迫状も届くし、口頭でも脅されます。たまに夜遅く武装した男たちが自宅の外に現れ、銃を発砲するんです。我々に精神的なショックを与え、恐怖心を植え付けるためです」 誰が自分の命を狙っているのかはわからない、とムクウェゲ医師は言う。だが、自分がコンゴ東部で覇権争いをしている複数のグループを公然と糾弾しているせいで、誰かがその口を封じたがっているのだろうとは見当がついている。コンゴ東部に広がる美しい丘陵地帯は、忌々しくも世界有数の鉱物資源の産出地なのだ。 「犯人の特定はできませんが、この地域であらゆる悪事を働いている者たちこそが、脅迫の首謀者であることはわかっています」と医師は言う。
紛争の主戦場となったコンゴ
1994年から2003年まで続いたルワンダ大虐殺に続き、アフリカでは大規模な紛争が勃発し、コンゴはその主戦場となった。アフリカ8ヵ国の国軍と何十もの武装組織が、その広大な国土の未来と、豊富な鉱物資源の利権をめぐって争った。およそ600万人が虐殺されたが、これは第二次大戦後における最大の犠牲者数である。 ムクウェゲ医師が1999年にパンジ病院を設立したのは、出産で亡くなる母子を減らすことが目的だった。しかしほどなく、病院には、略奪を働く国軍兵士や地元民兵や暴漢によって性暴力や集団レイプの被害にあった成人女性や少女たちが押し寄せるようになった。 これまでムクウェゲ医師は、ルワンダとウガンダの両国が傀儡軍を通じてコンゴ東部における略奪に加担したことを指摘し、両国を激しく非難してきた。さらに、ジョセフ・カビラ元大統領を槍玉にあげ、国内でレイプが常習的に行われ、その犯人が処罰されない状況を阻止すべきだと訴え、また、コンゴでこの数十年間に起きた犯罪を処罰するための特別法廷を設置すべきだと主張してきた。 そのせいで、ムクウェゲ医師は何度か命を落としかけた。2012年、5人の武装した民間人が自宅に押し入り、彼を暗殺しようとしたのだ。ボディガードが銃撃者の注意を引いてくれたおかげで医師は命拾いし、何とか身を隠せたものの、ボディガードは銃弾を浴びて死亡した。 それからしばらく脅迫は途絶えた。しかし、昨年7月、ムクウェゲ医師は、2010年に国連が公表した画期的な調査レポート(DRCマッピング演習レポートと呼ばれている)で報告された犯罪が正しく裁かれるべきだと呼びかけた。 そのレポートには1993年から2003年に起きた「筆舌に尽くしがたい」戦争犯罪と人道に反する罪が600件以上記載されている。加えて、20の民兵組織と、ルワンダとウガンダを含む8つの外国軍の関与が指摘され、さらなる調査と訴追が必要だと報告している。 地域の権力者の多くは世界がレポートの内容を忘れてくれることを望み、9月以降、ムクウェゲ医師は国連平和維持軍の分隊による常時警護を余儀なくされている。 いまも時おり海外へ行くことはできるが、新型コロナの感染拡大に伴い、その機会は厳しく制限されている。さらに最近では、国連が彼の警備を担当する部隊の撤退を検討中だという噂も耳に入っている。 「MONUSCO(国連コンゴ民主共和国安定化ミッション)の護衛なしにこの病院で働き続けることは、実質的に不可能だと思います」。そう語る医師は、「余程のことがない限り」、病院からほとんど一歩も出ていないと明かす。
「レイプされた3歳の女の子の腸は体外に出ていました…」ノーベル平和賞ムクウェゲ医師が語る(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
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