撮影:持田薫
テクノロジー分野のジェンダーギャップ解消を目指す一般社団法人Waffle。一人で設立した田中沙弥果(29)に、斎藤明日美(30)は「Co-Founderにして」と申し出て、当時働いていたAIのスタートアップを退職して加わった。
斎藤はNPOなどで社会課題に向き合う時に、Co-Founding(共同創業)という形式を勧める。特にジェンダーのようなあまりに大きい課題に一人で向き合うことは心が折れることの連続だからだと。森発言のようなことがあった日、「ホント、あり得ないよね」と話せる相手がいて1日を始められるのは、活動を続けていくエネルギーにもなる。
「性別関係なくリーダーに」学校が肯定
中高一貫の女子校で過ごした6年間が、斎藤の「ベース」をつくったという。
提供:斎藤明日美
斎藤が自分のベースがつくられたと言うのが、6年間を過ごした東京の中高一貫校、鷗友学園女子中高時代だ。ミッション系の伝統校だが、最近ではリベラルアーツやグローバル教育にも力を入れる進学校である。
女子校出身者から、女子だけで伸び伸びと育った環境がいかに楽しかったか、貴重だったかという話はよく聞く。まさに斎藤も6年間、男子の目を気にすることのない時間を享受した。
「偏差値ヒエラルキーから逃れることはできなかったけど、運動会も部活もみんな一生懸命で。ギャル系にもオタク系にも居場所があった。私がアイヴィー(田中)に『私、できるよ』とイベントの手伝いを申し出たのも、中高時代の経験が大きいです。性別関係なくリーダーになれる、ということを学校全体が肯定してくれたから。外の世界でもリーダーシップを取れると思えるんです」
京大時代、「男を立てる」に困惑
斎藤が入学した2010年当時、京大の女子学生の割合は2割強だった。
提供:斎藤明日美
進学先に京都大学を選んだのは、オープンキャンパスで学内を見学した時に、キャンパス内にあった廃液プラントに魅せられたからだ。
「管理しているおじさんが、『ここで圧力をこうして気体にして』と丁寧に説明してくれてスパークジョイ、最高だなって。学んできた化学がここに立体として存在しているんだって。あ、こうしたプラントってどの大学にもあるんですけど、おじさんの説明がすごく面白かったので」
しかし京大の4年間、斎藤は「居心地の悪さ」を感じ続けていた。最初は「東京と地方の差かな」と思っていたが、すぐにその正体は求められる女の子の役割を自分が演じられないからだと気づく。
女子校時代、誰にも遠慮せず発言していた。しかし、周囲の公立の進学校出身の女の子たちは、聞き上手だった。斎藤が男子の話に被せて話し始めると、「あれ?」という空気になった。「男子を立てる」という経験もなければ必要性も感じてこなかった。サポートに回った方がモテる、という発想すらなかった。
「女子同士でもあまり話が合わなくて。『誰が好きなの?』と聞かれても、『知らんがな』みたいな感じで。2年間ぐらいはずっと東京に戻りたいと、中高時代の友達とばかり連絡を取ってました」
斎藤は家でも「女の子だから」と言われたことは一度もないという。父親やその同僚たちも東大や東工大出身者という環境で、「自分も東大か京大に行かなければ」というプレッシャーを感じていた。
剣道三段。白人年上男性からも「教えて」
アリゾナ大学大学院時代、性別に関係なく、知的なことがリスペクトされる環境は心地よかった。
提供:斎藤明日美
京大で感じた違和感の本質に気づいたのは、アリゾナ大学の大学院に進んでからだった。女性であろうと自分の意見をはっきりと主張する。学生同士で議論していても、「明日美はどう思う?」と意見を求められる。周りの女子学生からはフェミニズムの考えも学んだ。女性の知的な部分、知性が一目置かれるという体験は新鮮だった。
提供:斎藤明日美
女性でも強さが尊重される経験はキャンパスの外でも体験した。中高時代に続けていた剣道の腕前は3段。アメリカで白人の年上男性と剣を交わしても、斎藤の方が強いと分かると、「明日美、僕のどこを改善したらいい?」と聞かれた。強さがそのまま受け入れられる心地よさにホクホクした気持ちになった。
女の子が意識高いまま育つ温室つくりたい【Waffle3・斎藤明日美】 - Business Insider Japan
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