家族が突然殺害され、拉致される。生きているのかも分からない、そんな状況が50日も続く。ようやく生きて戻ってきたものの、何か様子がおかしい。3歳の女の子が声を出さずに笑い、声を出さずに泣いている。8歳の男の子に画用紙を渡すと、怒ったテロリストと爆弾が描かれる。
人質だったこの50日間は、確実に子どもたちの心に大きな影を落とした。彼らが元の生活を取り戻すことは出来るのだろうか。
ベッドからパジャマのまま連れ去られ…
話を聞いたのは、イスラエル・テルアビブに住むシラ・ハブロンさんだ。
10月7日の朝、彼女はイギリスに旅行中だったが、膨大な量のメッセージで目が覚めた。ニュースを見ると、イスラム組織ハマスがガザとイスラエルの境界の壁を越え、集落などを襲撃したという、信じがたい話が報じられていた。
この記事の画像(15枚)イスラエルでは、金曜日の日没から土曜日の日没にかけてユダヤ教の安息日「シャバット」を迎えていた。シャバットには親戚が集まって食事をするのが習慣で、その日もいつものようにガザとの境界から約4キロの集落・ベエリにある祖父母の家にみんな集まっていた。
シラさんは、無事なのか本人たちと連絡が付かず不安が募る中、とにかく情報を集めた。そして数日後に分かったのは、親戚ら4人が殺害され、7人が拉致されたということだった。
拉致された7人の中には、いとこ夫婦と8歳の息子・ネベくん、3歳の娘・ヤヘルちゃんも含まれていた。その後、子どもたちは解放されたが、彼らは自分の身に何が起こったのかを理解しているとシラさんは話す。
「(ネベとヤヘルは)自分が拉致されたことを理解しています。彼らは、ベッドからパジャマ姿で連れ去られたんです。テロリストがドア越しに銃を乱射し、車を使って窓や壁を引き剥がしました。そして、手首を縛られたそうです。みんな、殺されるか拉致されるかのどちらかでした」
3歳と8歳の幼い子どもたちが抱いた恐怖はどれほどのものだったのか。想像するだけでも胸が苦しくなる。
「取り戻すまで何でもする」 動き続けた50日間
シラさんは、親戚を取り戻すためにひたすら動いた。
彼女の祖父は、1930年代から40年代にかけてドイツで行われたユダヤ人迫害・虐殺から逃れ、ベエリを開拓したうちの1人だった。そのため、イスラエルとドイツの二重国籍を持っている。
シラさんは、ドイツを含むヨーロッパにも働きかけた。イスラエルを出て、ベルギー・ブリュッセルにあるEU(ヨーロッパ連合)の本部に出向き、EU指導者らにイスラエルやハマスに人質解放に向けた圧力をかけるよう懇願した。
「本当に辛かったのは、この50日間、一度も命の痕跡がなかったことだと思います。生きている人の上で戦っているのか、棺や死体の上で戦っているのか、分かりませんでした。ハマスは人質を赤十字にも会わせなかったからです」
生死が分からなくても、無事を信じて出来ることは何でもする。シラさんは国際世論に訴えるため、イスラエルだけでなく欧米のメディアの取材も受け、とにかく行動し続けた。
3歳の女の子は声を出さずに笑い、8歳の男の子はテロリストを描く
人質に取られてから48日が経つ中、イスラエルとハマスが戦闘を一時休止し、女性と子どもの人質と引き換えに、イスラエルがパレスチナ人の囚人を釈放するという取り決めがなされた。
解放される人質のリストに親戚の名前がないか、シラさんは毎日気が気でなかった。
そして11月25日、テレビを見ていると、そこには親戚の姿があった。一緒にテレビを見ていた人たちと喜び合った。
ただ、そこにはネベくんたちの父親・タルさんの姿は無かった。彼女たちは6人が同じ場所で拘束されていたが、そこに成人男性であるタルさんはおらず、50日間、顔を合わせることは無かったという。
次のシャバットの土曜日、シラさんはようやく、いとことその息子・ネベくん、娘・ヤヘルちゃんと対面したが、彼らの様子に違和感を覚えた。
「ヤヘルは、声を出さずに泣いて、声を出さずに笑ったんです。普通の音量で話さず、周囲に『静かにするように、しゃべらないように』とお願いしてくるのです。彼女が拘束されていた間『静かにしろ、声を出すな』という指示を受け入れていたからです」
彼女たちは、真っ暗で太陽の光もなく、夜も朝も分からないような環境の中で、黙っていることを強要されていた。たった3歳の女の子の心に、50日間の拘束時間は大きな影を落としていた。
(Q. 夜はぐっすり眠れるのですか?暗闇を怖がるようなことはありますか?)
「ヤヘルは、睡眠リズムがおかしくなっています。午前3時ぐらいに眠りについて、そして遅く起きます。何らかが影響しているのは確かです」
言動の変化は、8歳のネベくんも同様だった。
「ネベは、好奇心旺盛でとても親切で素晴らしい子です。でも、今は顔がとても青ざめていて、目つきが変わりました。
ひどい扱いを受けた後なので、楽しいことをさせてあげようと、おもちゃなどを用意しました。すると、絵を描くのが好きなネベが、テロリストの絵を描き出したのです。銃やロケット弾を持った男がいて、背後には爆弾が破裂していた。男の顔はとても細かく描かれていて、怒った顔をしていました」
ネベくんたちのハマスの戦闘員への恐怖心は計り知れないが、拘束は精神的な負担だけではない。健康面でも劣悪な環境だったという。
「ネベは、あまりご飯を食べません。拘束中、あまりご飯を与えられず、シャワーを浴びることも出来なかったようです。衛生状態は悪く、帰ってきた時にはシラミがいました。ネグレクト状態にあったのだと思います」
解放時の映像では、小ぎれいに見えていたが、それは見せかけだったのだろう。
これまで解放された人質たちの証言などから、ハマスは解放の直前にシャワーを浴びせ、服を着替えさせ、さらには「幸せそうに見せる」ため、鎮静剤を投与したとみられている。実際、パジャマ姿で拉致されたはずのネベくんたちも、解放された際には服を着替えていた。
残された父親が帰るまで、前に進むことは出来ない
ネベくんやヤヘルちゃんたち6人は、1週間足らずで退院できたものの、今は隠れたトラウマに苦しんでいるとシラさんは話す。
「彼女たちは、本人もまだ気付いていないような大きなトラウマを抱えているのです。現実を受け止め、回復し、社会に再適応していくには、長い道のりが待っています」
(Q. この悪夢のような経験を乗り越えるためには、周囲はどうサポートしていきますか?)「まだ乗り越える段階には至っていません。ネベたちの父親のタルが戻ってくるまで、救える家族が救われ一緒になるまでは、本当の意味で前に進むことは出来ません。
私が今できることは、彼女たちが快適に家で過ごせるよう手助けするとともに、タルと残りの人質のために戦うことです。彼は今も拘束されたまま、命の危険にさらされ続けているのです」
ガザにはいまだ、ネベくんたちの父親のタルさんが残されている。現在は、シラさんだけでなく、解放されたタルさんの義母・ショハンさんも、アメリカに行って働きかけを行うなど、残された人質の解放に向けて全力を尽くしているという。
「安全で平和に暮らしたいだけ。ガザの人々も同じ気持ちのはず」
イスラエル軍は、人質解放とハマスせん滅を掲げ、戦闘が再開した今もガザでの激しい空爆を続けている。
ある解放された女性は、「拘束場所のすぐ近くで空爆があり、イスラエルに殺されるのではと恐怖を感じた」とネタニヤフ首相との面会で訴えたそうだ。また、ハマスは一部の人質について「イスラエル軍の空爆により死亡した」と主張している。
イスラエル軍が「人質解放」のために空爆を続け、強硬姿勢を崩さない状況をシラさんはどう見ているのか。
「私たちは、軍が人質の居場所についての情報を持っていて、彼らが人質に危害を加えないということを信じるしかありません。でも、人質が傷つけられないということを保証するものは何もないので、本当に難しいです。私たちは、信念を持ち続けなければなりません」
(Q. 攻撃の手を緩めないことで、人質解放に繋がるかもしれませんが、憎しみの連鎖は続いてしまうのではないでしょうか?)
「私にとっても、ガザの子どもたちの死者数を見ることは、耐えがたく、恐ろしいことです。私たちはただ安全で平和に暮らしたいだけで、ガザの人々も同じ気持ちだと思います。
この戦闘が始まる前も、私たちは平和を願い、ガザに寄付をしてきましたし、今の状況や占領に責任を感じています。
今は、この戦争を終わらせ、何らかの政治的な取り決めをすることが必要です。現実を変える必要があるのです。政府は複雑で、全てにおいて意見が一致するわけではありませんが、憎しみの連鎖を断ち切らなければいけません。
ガザでもイスラエルでも、罪のない人の殺害を止められる唯一の解決策は、平和を望み、諦めないことしかありません。死ぬのは、私の家族が最後でなくてはいけません」
シラさんは「嘆く時間もない。諦めずに強くならなければいけない」と話してくれた。タルさんを取り戻し、ネベくんやヤヘルちゃんたちが前に進めるため、何でもするという彼女の決意は固かった。
(FNNパリ支局 森元愛)
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