料理好きな俳優・渡辺早織さんが心に寄り添った手料理を紹介する連載です。ほろ苦かったり、甘酸っぱかったり、思い出とつながったご飯は何だか忘れられません。明日を頑張るあなたの活力になりますように……。そんな思いを込めた料理エッセーを動画とともにお届けします。詳しい作り方はフォトギャラリーでご紹介します。
その子は急に現れて、そして急にいなくなってしまった。
そんな女の子のお話。
彼女が教えてくれた「文旦」
私たちが初めて出会ったのは5年前。2018年の、春のこと。
私が朝の情報番組への出演をやめる時、その空っぽになった席に次に座ってくれたのが彼女だった。
だからその番組のお別れ会兼親睦会で少しだけ顔を合わせたことがある。
と言っても文字通り「顔を合わせた」だけで、私たちはほとんど喋らなかったし、私は番組をやめるのでもう会うことはないのかもしれないと思っていた。
しかし、私たちは再会した。
次に彼女に会ったのは、一度会ったあの日からもうすぐ2年の月日が流れようとしていた2019年の冬の日だ。
一緒に同じ番組をつとめることになり、そこでたくさんの時間を共有することになる。
香川から来た女の子。彼女はふと芸能活動をしようと決めて(決めたからと言って誰でもできる仕事ではないから、つまり彼女はとても美人だ)、そして思い立って東京に舞い降りたそうだ。
犬のような女の子だった。
すごく人懐っこい面を見せたかと思えば、どこかに必ず警戒心があった。
ポンっと森の中から現れたような太陽や緑の自然が似合う明るい笑顔と透き通るような純朴さは、いい意味で東京が似合わなかった。
私はすぐに彼女のことが好きになり、そして彼女も私を慕ってくれるようになった。
7歳年下だけど私のことを「さお」と呼んでくれて、それが心を開いてくれた証しのように感じて嬉しかった。
彼女の警戒心を知っているから、それがとても大切な意味を持っていることを私も理解していたし、東京に来たばかりで、頼る相手も少ないだろうと老婆心でいつも彼女に頼ってほしいと思っていた。
すっかり仲良くなった私たちは家で一緒にご飯をすることもよくあった。
うちに来る時はいつも何か手土産を持ってきてくれる彼女。
ある日、土佐の文旦が手に入ったからと持ってきてくれたことがあった。
ごろりと大きい文旦は、太陽の光をたっぷり浴びたことが分かるような眩しい黄色で、持つとずっしり重かった。
私は文旦を食べることも見ることも初めてで、しかも彼女はとても美しくむいてくれたからすごく感激した。
これがその時に彼女がむいてくれた文旦。
食べるのがもったいないほど綺麗だったのに、美味しすぎて一瞬で食べ終えてしまったのは少し申し訳なかった。
果肉の一粒一粒がパンっとはじけるような存在感があって、みずみずしく、甘くもどこか凜とした爽やかさがあって、まさに彼女がフルーツだったら文旦だったかもしれないと思うような味だった。
そんな彼女は、急にいなくなった。
あの日、思い立って東京に来たように、あっさりとまた香川に帰ってしまったのだ。
彼女はいつものように何の迷いもない真っすぐなまなざしで、地元に帰ることを教えてくれた。
人には生まれて育った場所がある。
その帰属意識は誰のものでもない本人だけの心に棲むものだから、何かを言えることはないけれど、彼女が空けた席はぽっかりと今も空いたまま。初めて会ったあの日に彼女が私の席を埋めてくれたように、そこの席に誰かが座るということは、ない。
遠く離れてしまうと連絡も減っていくもので、元気かなと気にするけれど、それぞれの時間は進んでいく。
そんな彼女がつい最近、急に連絡をしてくれた。
「文旦を送りたいんだけど、送ってもいい?」
私は喜んでその提案を受けいれて、届いたピカピカの黄色い文旦を見て、またあの日を思い出す。
「そのままでもおいしいけど、サラダにしてもおいしいよ。」
そう言ってくれたから、今日はこの文旦を使って、サラダを作ります。
Adblock test (Why?)
香川の女の子×文旦のサラダ みずみずしく爽やかな彼女 - 朝日新聞デジタル
Read More